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西洋建築史

このカテゴリは
西洋建築史(ロココまで)
を自分用にまとめたものです。

ほとんどの事はウィキペディア様からの引用といってもいいです。
それに管理者の記憶から書かれたものですので、あっているとも限りません。
どうかそこをご理解ください。

記事は以前のブログから移転
また一気に書いたものではないので様式によって書き方がおかしいデス
まとめるの面倒です。ご了承を。



形式名の簡単な覚え方。
↓頭を並べる↓

ぎろびろごるばろ ←魔法の呪文




目次(いくつも見るときは使いにくいです)

ギリシャ建築
ローマ建築
ビザンティン建築
ロマネスク建築
ゴシック建築
ルネサンス建築
バロック建築
ロココ建築



↓スクロールしてみていってねー↓

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2010.03.02(Tue)

西洋建築史 // コメント-0件 // トラバ-0件

ギリシア建築


ギリシア建築


ギリシア建築といえば神殿だね
石造りで
太い柱(オーダー)に
絵が描いてあったり模様が書いてある梁
屋根がなくて、妻側の破風だけだったり

破風が崩れちゃってたり。なんてのもあるよね。
パルテノン神殿なんて代表として上げられる物も、ぼろぼろです。
futta0044m.jpg

これた時代が違うだろうケド、造りとしてね。
写真はマドレーヌ寺院の外観デス



代としては起源となるものはもっと古くからあるんだけど
ギリシャ建築としては
紀元前8世紀頃が出発点と考えられてるそうです。
その頃は木で作ってあったそうで、
前6世紀中番から石造りが増え始めたそうです。


前5世紀ごろドリスとイオニア式が融合し本格的なギリシア建築が・・・
ってつづりは面倒だから飛ばしましょう。



っき代表作としてパルテノン神殿を挙げましたが
世界史を勉強された方なら(されてなくても)
オリンピアとかアテネ
ポリスなんて単語が思い浮かばないでしょうか?
このギリシア建築はその時代なんですね。

この時代は民主主義でしたっけ?
皆で集会して国の方針を決めてたんですよね。
それに神をあがめるために神殿を建てた、と



者の集会をする場所は今で言う公共施設
これは公共広場(アゴラ)です。
このアゴラのそばには市場のような空間がよくあり、ストアといわれました。
ストアってギリシャ語だったんですねー。
そのストアは柱が2・3列に並んでいて壁があるだけ、
そこで何か敷いて市開いたのかな?
イ○ンとかの建物の元なのかもね


ーダー(柱)
ドリス式イオニア式コリント式など柱の形によって名前が違います。
特徴については飛ばし、ちょっとしたこねただけ書きましょう。
ドリス式は男性器を思わせ、イオニア式は女性器を表すそうです。
ドリス式の柱は男らしさを表現したとか何チャラって、評論でかかれてたりしてます。

のオーダー
柱の真ん中が膨らんでいるんです。これをエンタシスと呼んでいます。
コレは人の目の錯覚によりまっすぐな柱だと真ん中辺りがやせ細って見えるからだそうです。
このエンタシスは世界最古の木造建築物
法隆寺の回廊にも使われています。

視覚を考慮って、、、すばらしい!!!

た、
ギリシア建築は建物に比例関係があるんです。
例えば円柱の直径と柱と柱の間の比率が
建物自体の幅と梁までの高さの比率と同じだったり。

建物自体が美術として捉えられたりして、
これからの建築に影響をたくさん与えています。




こんなところかなぁ?
参照はウィキ先生

一応僕の頭と照らし合わせて書いてますが、ういきさんのほぼパクリです。
自分のわかりやすいようにアレンジしただけだもん。
読み直してないから文めちゃくちゃだけど、気にしないで以降!

個人メモ

2010.03.02(Tue)

西洋建築史 // コメント-0件 // トラバ-0件

ローマ建築


ローマ建築

このローマ建築も世界史で勉強したローマ帝国の時代の建物です。
ローマ帝国といえば、地中海の辺りにどんどん広がっていった国ですね。

この広がっていく中で、ギリシャ建築や東方の建築を吸収して行き
地域によって少し建築が違ったりするそうです。

ーマ建築では
ローマン・コンクリートという今のコンクリートとは違うコンクリが使われました。
これによって、大空間を作ったり、建築のプレハブ化が出来たそうです。
またアーチや、アーチを応用したヴォールト(かまぼこ型の筒)が使われました。
アーチは小さな部材同士の圧縮軸力で構造が成り立つ性質をもっていて
ヴォールトは広い空間を柱の数を少なく支えることができます。
アーチやヴォールトはこの後の建築様式に影響をたくさん与えています。


ーマの建築

水道橋
アーチを使った長い橋を作れるようになりました!
市内に水を運んだんですね。


闘技場
これまたアーチ。円形にしてすり鉢状になってます。
とっても大きいです。すごいです。
今で言う野球場(サッカー場などの競技場)ですね
有名なコロッセオでは45,000人から55,000人収容できたそうです。


劇場
もとはギリシア建築からなんですが、詳しいのは面倒なんで、無しってことで。
すり鉢状。


公衆浴場
大きな浴場には講義室、ギャラリー、図書館、店舗などが組み込まれたそうです。
市民の娯楽施設だったんでしょうね。今と大差ない気がしますね


バシリカ
建築の平面形式のひとつ。
中央の身廊の2辺ないしはそれ以上の辺を、側廊によって取り囲むものをいう。
身廊と側廊は列柱によって分けられる。
丸々コピー↑失礼します;
今後キリスト建築に使われるようになります。
この時代には裁判だったり、取引所などに使われた、集会施設です。

フォルム
初期は商人が店を開く単なる広場だったが、
ギリシアのアゴラから着想を得た列柱が導入されるようになりました。
市を開いたり、剣闘士の競技を見たりしたそうです。
悪天候の時には代わりに、バシリカを使ったとか

クリア
定刻初期の建築家ウィトルウィウスは
立面は底辺の長さよりも高く設計しなければならないと言っています。
この建物はローマ市では元老院の議場として機能しました。
地方都市では都市参事会(オルド・デクリオヌム)が用いるホールだったそうです。

フォルム・バシリカ・クリアはセットになっていて、
町の中心だったそうです。


ドーム
ローマ建築の代表です!
単純なですが。大きな半球ドームと頂点から差し込む光によって
象徴的な空間となっているそうです。
実際みたいです。
聞いた話では宇宙を表現してたり、子宮だったり。
あまりにも完成された空間なそうです。

そんな建築作り手ええええええええ



レハブ化

ローマン・コンクリートが多用されるようになり、
当初は割栗石を積み上げただけの不規則なもので、その上に漆喰を塗って済ませていました。
やがて、表面の仕上げもかなり意識されるようになります。
煉瓦と凝灰岩を交互に重ねることも行われており、これはコストを安くあげるための措置でした。
建築に煉瓦が採用されるようになると、ローマ郊外では煉瓦を多量に生産する工場が建設されました。
ローマの建築資材はほとんどのものが規格化されており、共和政末期には煉瓦などは大規模な工場で生産・備蓄され、基準寸法と数量による発注と配達が行われていた。大理石は、共和制時代にはギリシア、エジプトから輸入される希少資材だったが、ティベリウス帝によってイタリア各地の石切り場が開設され、煉瓦と同様、大量生産のシステムが確立された。大理石円柱の寸法は規格化され、事実上、プレハブ化されたので、他の建築から同じ規格のものを移築することもできたそうです。


↑コピー失礼します。
再利用できる規格化。コストを下げる規格化。すばらっしい!



宅建築以下コピペ

ローマの典型的な住居建築は、中央のアトリウム(中庭)に開かれた平屋建ての都市型住居でギリシア起原のドムス、多層型共同住宅であるインスラ、郊外型の住宅であるヴィッラの3種に分けられる。比較的裕福な人々はドムスを構えることができたが、都市部では圧倒的に賃貸型のインスラにすむ人々が多く、現代でもみることのできる古いヨーロッパの町に似た風景が広がっていた。ヴィッラは郊外や避暑地に建設される邸宅で、上流階級の人々のみ得ることができた。

ただし、公共建築に比べると、住宅のような私的建築物は地方色がたいへん強く、地中海から離れるほど、その土地の伝統的形式で建てられたと言って良い。例えば、ガリアの住宅は基本的に質素なもので、ローマの基準からするとほとんど小屋と言って良い。イギリスで発掘された住宅などは、地中海方面の住宅建築とは全く異なり、ほとんどの場合、中庭はない。人口密度が低かったことに起因するらしいが、住宅は庭に囲まれた建物でベランダを持ち、各部屋へはこのベランダを介して行き来していた。








まとめれん。紹介しただけになったし、最後は疲れてコピペ。
いつか直そう。今日は疲れた与太郎。
引用は
ウィキペディア様でした。


続き個人メモだから見てもイミフ

2010.03.02(Tue)

西洋建築史 // コメント-0件 // トラバ-0件

ビザンティン(ビザンツ)建築

ビザンティン建築

ビザンティン建築はローマ建築の優れた工学・技術を継承し、
早い段階で技術的成熟に達します。

ザンティン建築の建物は宮殿・住居などの世俗建築は図版や文献も含めてあまり残っておらず
初期キリスト教建築と呼ばれる建築群については、原型のまま残っているものはないものの、
文献や遺構の調査によってその全貌が知られています。
ですので、今回は初期キリスト教建築についての話になります。

4世紀から5世紀にかけて、ローマ帝国では国教となったキリスト教の礼拝空間が形成されます。
これを特に初期キリスト教建築と呼ばれています。
前回のローマ建築で出たバシリカの空間を礼拝堂としました。
これはローマの神々を祭る異教礼拝堂(神殿)を思わせないバシリカを採用することで礼拝空間を確立したのです。
ローマ建築におけるバシリカは集会や裁判などに使われていたので、キリスト教の宗教儀礼は一般信徒と司祭が参加する集会的形態であったので、宗教空間としては有効に機能したと推察されています。

ルティリウム
初期キリスト教建築として特筆すべきもうひとつの重要な建築は、聖地や殉教者の記念碑として建設されたマルティリウム(記念礼拝堂)です。
324年頃に建設されたローマのサン・ピエトロ大聖堂は、典礼を行うための教会堂ではなく、ペテロの墓所を参拝するための記念礼拝堂として建設されました。
崇拝の対象物や敷地の形状に従わなければならなかったため、バシリカ、八角堂、十字型など、様々な形式で創られました。
また、その多くは修道院や付属教会堂など、徐々に様々な用途の建築が建て増しされ、大規模な複合建築物となりました。
霊廟のことだよね?
sanpietoroseidouheimen.gif800px-Basilica_di_San_Pietro_1450.jpg

その時代のサン・ピエトロ大聖堂
平面図は礼拝堂とキクルス(闘技場)
引用ウィキペディア

スティニアヌス帝時代の建設事業
553年から始まるユスティニアヌス帝の時代はコンスタンティノポリスのハギア・ソフィア大聖堂など偉大なキリスト教建築物が建設されました。これら首都の教会堂は、皇帝による事業という境遇や、その大きさからいって各地で安易に模倣されるものではなく、プランについても当時としてはかなり大胆なものです。
なので、当時のビザンティン建築の一般解とよべるものではありません。各地ではバシリカの教会堂が継続して建設され続けていました。
しかし、ユスティニアヌスの時代に建設された教会堂には後にビザンティン建築では一般的となる特徴がみられます。
複雑な組積構造のため、独立柱と水平梁が衰退した点とバシリカとドームを融合するプランが形成された点です。
独立柱や水平梁はギリシア・ローマの建築でした。これが組積造(レンガや石などを積み重ねて作る)
になり構造的意味を失いました。バシリカとドームが融合され、バシリカドームといわれました。
バシリカとドームを融合する形式は古代ローマの世俗建築においてすでに確立されていたが、ビザンティン建築の歴史の中で一般的形態として確立されます。

ーム・バシリカあるいは円蓋式バシリカと呼ばれるこの形式は、トンネル・ヴォールトを架けた身廊中央部に、身廊幅と同じ直径のドームを頂く正方形か長方形平面の教会堂です。
平面は単廊式(身廊のみで構成されるもの)か3廊式(身廊とそれを取り囲む側廊から構成されるも)のがあります。ハギア・ソフィア大聖堂、およびハギア・エイレーネー聖堂は基本的にこの形式です。
蓋式バシリカには、クロス=ドーム・バシリカ(Cross-Domed Basilica)と呼ばれる、身廊部分がギリシア十字平面に近い形式になったものもあります。†←平面としてはこんなの十字の部分にドーム

円蓋式バシリカやクロス=ドーム・バシリカは、5世紀末から9世紀までビザンティン建築で採用されたが、内接十字型がビザンティン建築の主流として確立されると廃れてしまいます。
内接十字型は正方形平面のなかにギリシア十字型の身廊・袖廊を内包しており、中央部にペンデンティヴを備えたドームがあります。
ンデンティブドーム-半球形ドームの一部を切り落とし4つの点と4本のアーチによって支持されるドーム
意外と小さい空間スクィンチ式ってのは大きいらしい

期ビザンチン建築
中期東ローマの教会堂は私的礼拝のために建設されたものだったため大きな空間は要らず
ドームを持つ集中形式が好まれるようになりました。この時代の東ローマ帝国はハギア・ソフィアのような大規模建築物を建てられるような国家体制ではなく、
建築的関心は修道院の教会堂建設に向けられていました。
貴族の寄進に頼るこれら中期ビザンティンの教会堂建築に大規模なもの存在しませんが、
その代わりに外部空間はかなり意識されるようになったようで、
内部空間の重要性に変わりはありませんでしたが、
中央聖堂は修道院中庭に孤立して建設されたため、外部を装飾する意識が生まれました。
この頃から内接十字型。

期ビザンティン建築
末期ビザンティン建築も建築的関心は修道院建築にありました。
そのほとんどは既存教会堂の増築・改築であり。この際、外部にナルテクス(廊下状の前室空間)が回され、ポーティコ(列柱のある玄関またはアーケード)付きの正面を形成することが多く、この形状はヴェネツィアからもたらされたのではないかとの指摘があるそうです。
ポーティコ付ファサード(建物の正面)は、教会堂以上に住居建築に採用され、コンスタンティノポリスのポリフィロゲニトゥス宮殿(現テクフルサライ)にもこの形状が認められます。
800px-Palace_of_Porphyrogenitus_2007_016.jpg
ウィキより1階のところがポーティコ

そして亡命政権が各地に樹立されることによって、ビザンティン建築は必然的に多様化することになります。

やっぱりまとめれんかった。
ってゆーかビザンツ建築はガッコや図書館の本で詳しく書いてなかったから知らん事尽くしだったわ。
授業ではペンデンティブドームのことしか習ってないんだぜ?ありえんっちゃ;;
もおおおっと簡単にまとめれるようにしたかった。未来書き直す。
引用はほっとんどウィキペディアさま。
続きは個人メモ

2010.03.02(Tue)

西洋建築史 // コメント-0件 // トラバ-0件

ロマネスク建築

ロマネスク建築

の様式は10c~12c西ヨーロッパで作られてたものだよ
ロマネスクってのは
ローマ風のって意味でこれは19世紀以降につけられた名前だよ
ローマ建築とかは深い関係がなく、
ローマ周辺で盛んになったからこんな名前になったんだってサー


レ・ロマネスク
8c頃からロマネスクのおぼろげな輪郭が出来ていたそうで
8c~10cの間をプレ・ロマネスクと呼ぶそうです。
建築形態はバシリカと単廊式教会堂が使われていました。
単廊式教会堂は、柱のない1つの空間に内陣(ステージみたいな感じ)
がある単純な造りです。しばしば、これにアプス(円形だったり多角形のくぼんだ所)
や小礼拝室などが付け加えられます。

バシリカはイタリア半島では初期キリスト教建築の伝統的な形式でつくられましたが、イベリア半島北部のアストゥリアス地方では、イタリアとは異なる性質を持つバシリカを生み出しました。
初期キリスト教建築では身廊と側廊がつながった空間なのに対し、これは身廊、側廊が隔てられ
継ぎ足して作られたような空間になっている。


西構え
これは上部に 塔のような外観の突出部を備えた西端部であり
実際これはその当時に塔と呼ばれ、次いで完全な塔となりました。


西正面
西構えが発達して西正面となり
その形態によって縮小型西構え、三塔型、双塔型、横断型、単塔型
と分類されます。
外壁に装飾のない西正面の建築が
ロマネスク建築の代表的なものです。
200910131320481b3.jpg
ジュミエージュのノートルダム聖堂(ウィキより

簡単になったけどこれでいいのだろうか。
参考はウィキペディア様です。
なるべくなら写真はフリーサイトから持ってきたい。
でもなかったりする;かなしす;

2010.03.02(Tue)

西洋建築史 // コメント-0件 // トラバ-0件

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